塩船観音寺

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つつじ祭り期間中で、しかもこの日は一般参加も可能な「例大祭 柴燈護摩火生三昧火渡荒行厳修」が行われていたせいか、かなり人が多かった。屋台も出ている。JR青梅線河辺駅から臨時バスに乗ったのだが、道が混んでいたので途中で降りて歩いた。

さて、入り口にある仁王門が実はいきなり重要文化財である。1187年の建立で茅葺屋根が見事。続いて登場する阿弥陀堂室町時代の建立で、重要文化財。銅板葺の屋根が印象的である。中の阿弥陀三尊像は明らかに近世の作だろう。

さらに進むと、「ぼけ封じ」として有名らしい薬師堂がある。中の薬師如来立像平安時代くらいの作とのことだが、暗くてよく見えないのが残念。この仏像はあまり話題にならないね。『東京近郊仏像めぐり』という本には、この薬師如来立像の大写しの写真が掲載されている。

そして、今日の最大の目的である本堂の拝観である。この茅葺の本堂も室町時代の建立で、重要文化財。開創千三百五十年祭ということで、今年の大型連休中は本尊の鎌倉時代作の千手観音立像などを特別に内陣から間近に見られるのだ(別途1,000円が必要、祈願札がもらえる)。

内陣に入ると、塩船観音寺の説明と祈願を受ける。塩船観音寺は修験道の影響が濃い真言宗醍醐派に属していることもあり、この祈願が興味深かった。まず、祈願していただいた女性が山伏のような兜巾(ときん)をかぶっている。そして、祈願時に神道のような大幣(大麻、おおぬさ)を使う。うーん、神仏習合だねぇ。

本尊の千手観音立像は、立派な厨子(これも重文)に入っている。比較的肉付きの良いお顔に比べて、体付きが華奢なのが印象的。金箔もしくは彩色の剥げ方がちょっと中途半端なのが惜しいね。

本尊の周りには二十八部衆立像があって、鎌倉時代以降の作だそうだ。京都の三十三間堂に次ぐ二十八部衆の古例とのこと。鎌倉時代以降の作にしては、動きは堅い感じである。

手持ちの『週刊日本の仏像 No.42』というムックによると、本尊は慶派の仏師と思われる快勢の作(1264年)、二十八部衆のうち鎌倉時代につくられた23体は慶派の仏師である定快一門の作で(1264年〜1288年)、室町時代につくられた残り5体は弘円という仏師の作とのこと(1512年)。ちなみに、本尊も二十八部衆も国の文化財指定はなされていない。

その他、本堂には本尊の脇侍である不動明王立像と毘沙門天立像、それに塩船観音寺を開山したという普段は公開していない八百比丘尼の像がある。いずれも近世の作だろう。あと、本尊の足元には八百比丘尼が持ち込んだという手のひら大の小さな仏像があるのだが、詳しいことは訊きそびれてしまった……。

外に出ると、火渡りの荒行(というほどでもないけど)が行われていた。案内や読経をしている人の格好は、まさに山伏のそれである。

良くも悪くも、ここは敷居が低くて観光向けのお寺だなと。つつじが美しい広い境内のあちこちで、家族連れがお弁当を広げていた。今年になって「塩船平和観音」というどデカい観音立像が完成していて、これも多分に集客を意識しているのだろう。